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寝台特急 出雲号 浜田行 [20系 24系]

24系 出雲号 S55.8.16. 東京駅 24-6

24系 出雲 東京.jpg

思い出の列車たち

寝台特急 出雲号には、寝台特急の中でも、

個人的には、一番の親しみがある。

祖父が眠るのが、山陰地方にある事が

単なるきっかけだが、盆、正月の帰省には、

多感な時期の思い出がいっぱい残る。

親戚が駅の助役を勤めていたこともあり、

山陰線は、青春時代と切っても切り離せない。

その山陰本線を起点京都から

島根県浜田までを結んでいた出雲号。

特別なトワイライトエキスプレスが、

伯備線経由であれ、山陰線を下関まで走れば、

全国のたくさんの鉄道ファンが押し寄せた。

まさに出雲号の貫禄を懐かしむ風景だった。















銀河号 急行マーク [20系 24系]

20系 急行 銀河 S54.3.10. 大阪駅 20-4
20 ginga kyuukou.jpg

思い出の列車たち

寝台急行 銀河号の20系使用の時代は、

1976年(昭和51)と、古い。

この頃に新製され始めた14系、24系の寝台車

が、寝台特急 あさかぜ号を始めとする

優等寝台特急へ導入され始め、

それらの余剰置き換えに、銀河号に

20系寝台客車が充当された。

お下がりとはいえ、それまでの10系寝台、ハフ混成編成に

比べれば、統一された豪華列車に全く遜色なかった。

置き換え当初の東京ー大阪間の牽引機関車は、

マニア垂涎のEF58であり、

保存車両が整備され、リバイバルトレインが設定されうれば

マニア殺到で運行不能必至は、想像に容易い。









24系 寝台特急 ゆうづる号 [20系 24系]

24系 ゆうづる号 S56.7.25. 上野駅 24-5

24系ゆうずる(上野)135-55img287.jpg


思い出の列車たち

昭和57年の東北新幹線開業前の

上野駅を出発する夜行列車群には、

日本一の情緒があった。

行き先は、主に東北地方である。

黒磯を経由する東北線経由、

水戸、日立を経由する常磐線経由

福島から米沢、山形を経由する

奥羽線経由。

特急、急行、寝台、座席含め、

とにかく、たくさんあった。

それら夜行列車群の最後の定期列車

となった北斗星が、鉄道ファンだけでなく、

たくさんの日本人、特に東北地方に

縁を持つ人々に、最後まで愛されたのも

そんな郷愁と切っても切り離せないから。

ブルートレイン あさかぜ号 [20系 24系]

20系 あさかぜ S56.8.16. 東京 20-3

20系 あさかぜ 東京.jpg

思い出の列車たち

昭和33年、国鉄で初めての固定統一編成

列車が走った。

それが、この20系客車を使った

寝台特急 あさかぜ号である。

以前までは、戦前戦後の車両を

いろいろと組み合わせた混合客車であり、

この20系こそが、日本鉄道史における

最大の転換点では、なかったろうかと

回想する。

Mr.GIANTS 長島茂雄が、巨人軍に入団

したのも同年。

ともに、全盛期を知る世代ではないが、

活躍の最後を、見送れたのは、

幸せな思い出。


明星 [20系 24系]

カヤ24 明星 S56.1.21. 大阪 24-4

カニ24明星135-42img820.jpg

毎週毎週、大阪駅の日曜日の朝は、

たくさんのrailguysで賑わった。

とくに、九州方面からの列車が到着する

10、11番線。

今は、中長距離列車といえば、

金沢方面へサンダーバードが、出発するか、

山陰からの特急群が、帰着するだけ。

バリエーションは、日々均一化していく。




寝台特急 明星6号 [20系 24系]

カニ24 明星 S56.3.11. 大阪 24-2
2カニ24明星135-44Rimg713.jpg

写真のメモに明星6号と記録してある。

この時代に、明星号は、3往復の設定があったようだ。

583系から客車使用に変わって、間もない頃、

なは号が名称統合されての3往復設定。

ブルートレイン最後の華やかし頃。

鹿児島はすっかり近くなってしまった。





寝台特急 明星 号 [20系 24系]

カニ25 S56.3.11. 大阪 20-2
カニ25明星 大阪1156.3.11..jpg
カニ22という20系用電源車を24系用に

改造された車両だけに、フォルムは、

どう見ても20系。

以外と頻繁に代用されていましたが、

でも、これが繋がって来た時は、

嬉しかったもんです。


寝台特急 日本海 [20系 24系]

カニ24 日本海 S56.9.13. 24-3
カニ24系日本海オサ⑨135-59img378.jpg

思い出の列車たち

この列車も、夕方5時過ぎに大阪を出る

日本海1号 青森行き

まだ、青函トンネル開通前なので、

本州最北主要駅の青森行だった。

1200kmを15時間近くも所用して

あなたは走っていたのですね。

あくまでも、移動手段として。


日本海1号 [20系 24系]

カニ24 日本海 S55.9.22. 大阪 24-1
2カニ24日本海135-38Rimg502.jpg

思い出の列車たち

日本海1号としたのは、訳でもない。

この頃、日本海号は、2往復あって、

夕方5時過ぎには大阪を出発していた。

大阪発のブルートレインは、たくさん走っていた九州

方面行き寝台列車も含めても、陽の長い夏場でも、

すっかり暗くなってから出発するものばかりで、

この日本海1号だけが、冬場でもまだ残り陽が

しっかりあるうちから、旅立った。

この列車が元祖トワイライトエクスプレスだった

のかもしれない。







寝台急行 銀河号 [20系 24系]

カニ21 S56.3.8. 大阪駅 20-1
image.jpg

 思いでの列車たちです。

なんて旅愁漂う情景でありましょう。

丁度今時分に、すっかり静けさに

包まれた大阪駅を滑るように

大都会東京に向けて、走っていきます。

今の時代は、なんだか忙しくなりすぎて、

余計に疲れます。 ばんない


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